64歳男 暗黒面に救ってもらったフリーランス時代

隠居生活2年目、毎日が日曜日という生活をしています。

さすがに一年の長きに渡る休日は、目的もなく張り合いのない日々が続いています。

料理をすることを覚えました。

英語の勉強も始めました。

そして地域のボランティア的な活動にも参加をしていますが、現役時代の充実感を味わうことはもうできません。

グラフィックデザインであった私は30歳との時にある事件が元でフリーランスとして独立しました。

その事件とは当時勤務していたプロダクションの社長の理不尽さに腹が立ち、早朝会議の席で彼をスタッフの前で怒鳴りつけてしまいました。

私はそのまま会社を飛び出て、高ぶった気持ちを落ち着かせようと映画館に入りました。

その時に上映されていたスピルバーグ監督の「E.T」を観ているうちに、気分も静まり冷静になれたのです。

当時フリーランスのアートディレクターとして事務所を構えていた親しい元上司に電話をいれ事情を話しました。

彼は「まずは祝杯だ!俺んところ来い!」と言いました。

そして私のフリーランスの活動が始まりました。

当初は先輩の手伝いや、近所にあった制作プロダクションの助っ人だとかで仕事をもらっていましたが、少しではありましたが自分自身で開拓したクライアントも増えていき、自宅の近所のワンルームマンションに事務所を構えました。

最初の2ヶ月は暇でしたが、徐々に仕事が入ってきます。

PC普及以前のデザイン作業は正に手作業の世界です。

時間が物凄くかかるのです。

しかも一人ですから、資料を探すのも客との打ち合わせも全部私がやらなければならない。

コピーを取るのも自分の作業です。

狭い事務所に布団を持ち込んで月の半分は泊りがけという状態です。

そんな状況ですから常に思い通りの仕事ができないのです。

仕事が重なると納得できないまま提出しなければならないこともままありました。

もちろん怒られたり、突っ返されたり、また遅刻したりと散々です。

ある日気がつきました。

デザインの出来が悪い時に心の中では「なんとかなるよ!」という気持ちがありました。

出来のいい時で評判上々の時は「ハラハラドキドキ」と不安でいっぱいだと気付いたのです。

苦手な広告代理店の担当者の仕事の出来が悪く、しかし時間がなく仕方なく電車に乗りました。

気分は平然としていました。

「なんとかなるよ!」と頭の中にその声が響きます。

まずいと思いました。

ワザと不安を自分の中に作ってみました。

「怖い怖い、怒られる怒られる」と。

すると胸の内が不安でザワザワするのです。

そのまま担当の席に向かいました。

彼は外出から戻っていませんでした。

私は原稿を皮下の方に委託し帰宅しました。

以後この手法を重宝しました。

デザインの出来は変わりませんが、担当が不在、時間の変更、先方の都合による仕切り直し、など救われました。

私は恐怖と不安を使ったダークサイドのフォースとしてこのジンクスを信じていました。

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