40代半ば、実家がお寺という宗教に関わりのある家業です。スピリチュアルな事には、全く興味がない訳ではないけれど、霊感的なものは一切無く、夜に家の裏の墓場を見ても、恐怖は感じない…というタイプです。学生を終えて仕事を始めた頃から、自分が何かに守られているような、ラッキーな感覚に気づき始めました。それまで、意識したことが無かったのだと思います。何かひどく傷つくような出来事がある前には、「もうすぐ来るよ」と言った感じの前ふり的なで出来事が必ずあります。何かに守られている感覚に気づいてから、何に守られているかは分からないものの、その何かに感謝しなきゃなぁ、と思う様になりました。その頃、読んだ本に、神様や仏様へお参りする時、お願いごとばかりするな。まずは日頃のお礼をしよう!といった内容に出会いました。確かに、自分が拝まれる立場ならば、辛いときばっかり「お願い!」と頼み込んで、普段は知らんぷりされたら嫌だよなと考え、神社仏閣、どこでもまずは「いつもありがとうございます!」から入る様になりました。そこから転じて、普段の生活で、例えば道ばたにあったお稲荷さんに目が行ったら、旅先で初めて顔を合わせるにしろ「いつもありがとうございます」と、ぺこりと会釈して通る様になりました。意識しているせいもあるのですが、色んな所で、鳥居やお社、道祖神や鰐口の下がったお寺さん等に目が行くことが増えました。それだけあちこちに、自分を見守ってくれる存在があるのだと思うと、心強いものです。お目にかかれただけでも、ラッキーだなと思わず笑顔が出てしまいます。はて、このラッキーな感覚、安易に他の人に話すと、ちょっと引かれちゃったりもします。バリバリのスピリチュアル系?もしくは、怪し気な宗教?ととられこともあるんですねぇ。また、自分が不幸だと思っている人に、ねたみの気持ちを起こさせることもあります。自分がラッキーだと分かっても、公言する時は、相手を選ばなければいけないと思います。自分がラッキーなことに浮かれまくってしまうと、相手の反応を見逃してしまうのでご注意を!
44歳 女 街角のお稲荷さんに挨拶をする
