50歳男性 神社への参拝に関するジンクス(縁起かつぎ)

50歳の男性、会社員です。

私の「はまったジンクスの体験談」について記載します。

今回「ジンクス」、つまり言い換えるなら、「縁起かつぎ」に関して、その最たるものとして最初に思いついたのは、「神社へのお参り」です。

どんなに現代が豊かになり物質社会になったとしても、思うに古来から自然災害と共に歩んできた日本人の多くは、自然の力を尊び、八百万の神々と言う言葉があるように、この世の中に存在する全ての物には、魂が宿っていて、神様がいると信じているのではないかと思います。

それを神道とも呼ぶようで、類似した宗教も多数あるようですが、どんな宗教があろうと、それをなんと呼ぶにせよ、そのような全般的な神の道なる考え方があるので、日本人は神社にお参りに行くのでしょう。

私も生まれてから今まで、ずっと変わらずに「はまったジンクスの体験談」は、やはりこの神社へのお参り、いわゆる神社参拝になります。

一言で神社参拝と言っても、多種多様です。

それこそ最も有名なのが、多くの日本人がやっている年の始まりのお正月に参拝する初詣でしょう。

これもある意味のジンクスだと考えます。

そして、このタイミングがまた、子どもの受験の直前だったりするので、受験がある年には、初詣と一緒に合格祈願もするでしょう。

絵馬に「無事、希望校に合格しますように!」などと書かれているのは、よく見かける光景です、さらに、この初詣で、大抵人はお賽銭を投げてお願いをします。

「家内安全。

健康第一、商売繁盛」と言ったところでしょうか。

中には、先に記述した受験生の合格祈願だったり、恋愛や結婚に関するお願いだったり、体調改善などの健康に関することや子供が生まれてから参拝して名前を付けてもらったり、お宮参りだったり、新車購入時の交通安全祈願だったり、改めて考えてみると、盛りだくさんのお願いを一手に引き受けている神様ってのも大変ですね。

これこそ、まさに神業(かみわざ)です。

振り返れば、私の名前も、気に入っていませんが、両親が神社からもらってきました。

そして、私の子ども達も神社からもらってきています。

近所に神社があり、そこには道祖神やお地蔵さまや本当に色々な神様が居ます。

この国は、昔から何かにつけて神様を作って拝む神様大国なんだと思います。

志村けんのギャグにも「そう、わしゃ神様じゃ」なんてのがありますが、それほど本来、世界的には立派で遠い存在のはずの神様は、この国では神社の神様のように、いつも身近で毎日拝めて、何でも皆の悩みごとを相談できる気心知れた仲の良い旧友みたいなものなのかもしれません。

そんなことを思いながら、今回の「はまったジンクスの体験談」として、現在進行形でハマっていますが、神社へのお参りを列挙しました。

神社参拝は、行く時は邪心を捨てて、気持ちをリセットさせて、帰る時はリフレッシュさせています。

一度、精神的に清めてもらい、気持ちの汚れを真っ白にすると言った感覚で、気持ちの洗濯ですね。

ずっと後悔しているのは、私自身の大学受験です。

私は高校受験で希望校に合格した際、受験直前の初物で、地元の神社に参拝して、希望する進学校への合格祈願をしました。

その後、合格したので、御礼のお参りもしました。

しかし、そこで気が緩んでしまって、その3年後の大学受験はボロボロでした。

高校受験の時と同じように希望大学への合格祈願をしました。

結果、不合格で、滑り止めの希望しない大学は合格しましたが、やはり納得できず、1年浪人して希望校に合格出来ました。

今にして思えば、実家が元々、農家で大学受験経験者が居なかった環境もあり、大学受験の厳しさを知りませんでした。

現実は、地元で一番優秀な高校に受かったからって、そこがゴールでなく、スタートだったという事を痛感した次第です。

そんな失敗談もあり、自分の子供達には、中高一貫校で、大学受験に特化して学ばせています。

それで、元に戻りますが、高校受験の合格祈願で合格したのはよかったと思いますが、その後、気が緩んでしまったのは、後悔していることになります。

私の最初の大学受験同様、困ったときの神頼みなんて言葉がありますが、現実はそんなに甘くないです。

ご祈祷はあくまで、全力を尽くした後の精神的な安定剤としてのオマケだと思って、実際は、しっかり計画を持って、物事を進めてください。

わかっている人は、分かっているとは思いますが、全てやりつくした後に、神社への参拝をお願いします。

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