50歳、男、墓参りや100まで数えて精神統一

50歳の男性です。

私が試してみた『おまじない』のエピソードを紹介します。



今回紹介する[おまじない]は2つあり、どちらも元々は、私の習慣的なものから、常態化したものになります。


1つ目は、昔ながらの日本人なら誰でもやっていたであろうことですが、毎朝、優しかった私の祖父母や先祖に対して、挨拶の意味で、仏壇に手を合わせてから出勤しています。

これをやることで、精神的に落ち着きます。

又、お盆や彼岸や年末の御墓参りも欠かさず行っています。

手を合わせて、家内安全や健康維持や商売繁盛を見守っていて下さいと祈願しています。

少し気になるのは、妻や子供達は、あまり信心深さがないので、適当な感じがしていますが、現代日本人には、先祖を敬う気持ちが軽薄になりつつあり、これも時代の流れかもしれず、仕方なく、お祈りや習慣の無理強いは出来ません。


2つ目は、1から100まで数えることです。

その時の場面は、人それぞれですが、兎に角、何も考えずに、1から100まで数えます。

時間が余れば、また最初の1から100まで数え、時間の許す限り、何回でも数え続けます。

ハッキリ言って、これ自体、何の意味もありません。

しかし、特に順番待ちなどで長い間、待たされている時やなかなか思ったように行かなくて、イライラしている時に、これをやると効果的です。

恐らくこれは、学校の漢文で習った所謂、無の境地と言って良いです。

1つ目でも紹介した仏壇に祈るもそうですが、南無阿弥陀や何妙法蓮華などのお題目を何度も何度も唱えるのと同じ感覚で、他の邪念を無くして、ひたすら、1から100までを数えるだけのことです。

そこに理由とか宗教とか信念とか何もなく、無心に同じことを繰り返して行うことが大切なのです。

何も考えないことが重要なのです。




人は時として、考えるとドンドン深みにハマり、喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだり一喜一憂し、そして精神的に疲れて、最後は暗くなったりしてしまいがちです。

そんな時こそ、無の境地!仏壇に手を合わせ御経を唱え、無心に1から100までを繰り返して、疲れ切った心と身体をリフレッシュさせることで、また新しい気持ちが芽生えてくるものです。

慣れていることや楽なことを繰り返し行うその時の心境こそ、心機一転、人生は前向きになれる。



後悔は、時々、墓参りや数を数えるのも面倒臭くなり雑になること。

もっと楽な方法でも良いかもね。


よかったことは、これをやることで、初心に帰り気持ちが引き締まること。




アドバイスは、私は墓参りや100まで数えていますが、貴方は貴方の好きなことで、慣れていることや何度でも出来そうことを探して実行して頂ければ宜しいかと思います。

探して下さい。

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